節分は憂鬱だ
何故、この土地にはこんな文化が在るのか ・・・
節分には、家族で笑いながら太巻きを食べるという文化だ
1本の太巻きを丸ごと、口に押し込む様に 一気に食べるという、その文化
節分と何の関係が在るんだ
豆を撒けば、でんろくを撒ければ、それでいいじゃないか
戦争もテロも無い、平和な世界でいいじゃないか・・・ どうでしょう?
とにかく何故、私の生まれ育ったこの土地には、この様な文化が 今も根づいているのか
思春期の私にとっては、まったくもって酷な行事だ
それと、自分の名前も気に入らない。
節分の”節”に子供の”子”で ”節子”だと?
この地方、いや、この家族の この節分に対する、この思い入れは一体何なんだ
最近、友達には”ショウ”と呼ばせている。”翔子”の”ショウ”だ。両親にも こう呼ぶように言っている。
そう、私は、物事の節目 節目になるような女では無く、世間へ、世界へと飛翔するような天女の様な女になりたいのだ。
と、自分で言っててよく意味が分からないのも確かだが、とにかく私は節分が憂鬱なのだ。
「節子」
自宅のキッチン。食卓に座る父親が、その目の前を横切る私をそう呼んだ。
私はその呼び声を無私して そのまま目の前を通り過ぎる。
「節子」
再び私をそう呼ぶ父親の声を耳にし、私は立ち止まり、振り替えって父親の顔を睨んだ
「恵方巻を食べるぞ。」
父親は私の顔を直視したまま、食卓の上のタッパーの中に入った太巻きを指し示した。
「食べないわよ。」
私は一言そう言い残し、その場を後にしようとする。
「なんでだ?毎年家族で食べてるだろ。」
「どうしたの?」
そう尋ねる父親に続いて、台所で洗い物をしていた母親も 食卓の方へと出てきてそう口を開いた。
この後、この二人が口にする様なことは大体解っている。
言い返す私に対し、いつもの様に父親は名前のことを蒸し返す
それを母親がなだめ、私が怒り出し、また母親がそれをなだめ・・・
いままで何度となく繰り返してきたであろう そんな無駄なやりとりは もううんざりだ
私は二人の目の前を横切り、無言のまま台所へと走ると、冷蔵庫の扉を開け、中から食べかけのロールケーキを取り出した。
怪訝な表情で見詰める両親を目の前に、私は それ(ロールケーキ)を突き付けながら こう言い放った
「食べるわよ!食べればいいんでしょ!」
私は両手で掴んだロールケーキを一気に口の中へと押し込もうとしたのだが、太巻きよりも二回りは大きいロールケーキは、口の中へと頬張ることが出来ない。
仕方なく私は、ロールケーキの一部分だけを噛み千切ると、勢いに任せて その残りを食卓の上へと放り棄て、玄関へと走った。
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自宅を飛び出した私は、行く当ても無く
近所の公園を歩いたり、商店街を歩き続けた。
そのまま数時間が過ぎ 夕日も沈み始めた頃、私はコンビニに入り、太巻きを買って家に帰った。
「あ、口に生クリームついてる。」
家に帰った私に、父はそう言った。
完