「先生、天狗岩って知ってますか?」
助手の妙領寺が、突然そう言ってきた。助手と言えば聴こえはいいが、彼は雑用係みたいなものであり、実の父は今、乞食をやっている。
事務所への扉を開けるなり、私よりも必ず早く社へと出勤している彼は、毎朝「おはようございます」と、私に向かって元気よく挨拶をしてくれるが、私が其れをくい気味に遮り「お父さん、まだ乞食をやってるんだって?」などと言うと、彼はとても嫌そうな顔をする。
その表情に気付かない振りをして、続けざまに「乞食は最低だ。」などという私を尻目に、彼は「先生、天狗岩って知ってますか?」と尋ねてきた。
「天狗岩、天狗岩、天狗岩。天狗岩ねぇ・・・。聞いたことがあるような、無いような。そうだ、ギンザの方には、来春、天狗ビルヂィングという斜塔が完成するそうだよ。ああ、ギンザと言えばね、ギンザのゴミ捨て場で君のお父さんを見たよ。今月に入って3度目だ。」
私は、尚もしつこく、乞食のお父さんの目撃情報などを話そうとするが、まるで、それが聴こえていないかの様に、彼は話を続けた。
「いえ、ギンザでは無いのですが、熊本の方に天狗岩というものがありまして・・・いや、正確に言うと、全国数箇所に天狗岩と呼ばれる岩が存在するらしいのですが、今回に限っては、熊本の天狗岩の話しなんです。」
「で、その熊本の天狗岩がどうかしたの?」
「ああ、そうだ。先生、水延京子さんって憶えてられますか?」
「憶えてない。」
「水延財閥の娘さんですよ。多少、狂人の様な振る舞いが目立ちますが、顔立ちの整った綺麗なお嬢さんです。」
「ああ、あの、突然 豚を殺したりするお嬢さんか・・・どうした?入院先が決まったのかい?」
「いえ、入院はされてないみたいですよ。なんでも、先生にお仕事の依頼があるらしくて、昨日、先生の留守中に執事の方がいらっしゃいました。これが、その方から預かったお手紙です。」
「仕事ねぇ・・・」
私は、そうつぶやきながら、手紙の封を乱暴に開けた。
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お久しぶりで御座います。黍様。わたくしで御座います、4年前の片輪屋敷での御事件以来で御座います。
あの時は、大変お世話に為りました。私もテスも喜んでおります。まあ、テスよりも私が喜んでいるはずですが。
先日、私ども水延の家に奇怪な現象が起こりまして、祈祷師の方や潮来の方々を方々から呼んで徐霊を行おうとしましたが、どうも霊の仕業では無いというのです。ラスカルの仕業では無いというのです。スカルノの仕業でもな。
ですから、霊では無いのなら、人為的なことなのなら、4年前に片輪屋敷で、私の妹を逮捕してくれた、名探偵の黍様にお願いするのが一番だと想い、執事の篠原にこの手紙を持たせた次第で御座います。そうそう、執事の篠原は、最近白髪を染めたんですよ。可笑しいでしょう。
ここから先に書き記すことは、我が水延家の名誉にも関わることですので、何卒御内密にして戴きたいお話なのでございますが、私どもの屋敷の使用人が、3人も立て続けに行方不明になってしまったのです。
使用人の1人や2人が行方不明になるだけなら、神隠し、もしくは自分探しの旅。ヒッチハイクの旅。ということで世間も納得してくれるのでしょうが、事は3人です。3人ともなると、これは全員が全員猿岩石という訳には行かなくなるのです。
それと、不思議なことに、我が屋敷に古くから伝わる"弥勒の間"と呼ばれる開かずの間を、開けようとしたものが居たのです。そのことも、私の心をとても不安にさせた要因の一つです。
弥勒の間というのは、お爺様はもとより、その先代、先々代の水延頭首たちの間でも「絶対に開けちゃだめだよ」ということになっている間なのです。そして、その開けちゃだめだよ感は何十年にも渡り護られてきたのです。
それが、3人の使用人の連続失踪うと共に、弥勒の間を開けようとした形跡が、ガチャガチャした形跡が見られたのです。
無論、誰がガチャガチャしたのかを調べようと、使用人を一堂に会して、わたくし自ら般若の面をかぶり、手に牛刀を持ち、「ガチャガチャしたのは誰か!」ということを、問うてみましたが、皆一向に口を噤むばかりです。ならばと、私は、嘘をつく者の口からは紫の吐息がでると想い、使用人たち一人一人の口元に般若の面を近づけ、面越しの眼を近づけてみもしましたが、誰もが無色透明の息を吐くではありませんか、吐き吸うではありませんか。
ですから私は、この椋鳥の舞では、ガチャガチャ犯を見つけることが出来ぬと思い、はらいせにスカルノを牛刀で惨殺した次第です。
ああ、どうしたことでしょう、一体ガチャガチャ犯は誰なのでしょう、だれがガチャガチャやったのでしょう。もしや、失踪した使用人の仕業なのではないでしょうか、それならば、彼らは彼女らは奴らは、またガチャガチャしに来るのでは無いでしょうか、失踪というのは私たちから見た場合の事象で在って、彼らの中では、逃げ隠れしているだけなのかも知れませんし。そう考えると不安で不安で、安らかな気持ちでは到底いられません。
そこで私は、どうしても、この不安を取り去って戴きたく、黍様に依頼を募ろうと思った次第なのです。屋敷の者皆が募っている次第なのです。
それと私の新しいドレスも見ていただきたいのです。100万エンしたドレス。
執事の篠原が、この手紙をお渡しした翌日に、もう1度篠原を其方へと伺わせます。どうか、良き返事を戴けることを望んでおります。
水延京子
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「やっぱ、この女ちょっとおかしいよな?テスって何だよ?」
私は、水延京子からの手紙を読み終えると、助手の妙領寺に、そう問いかけた。
妙領寺が、口を開こうと「あ」の形をした瞬間、事務所の扉が、"カララーン"という音と共に開き、若い男が姿を現した。
第2幕へと続く