桂木茜


真っ赤な外套を纏い、黒い乗馬靴を履いた女が、トントン・トト・トン・トトントンなんて踏み鳴らしながらこちらへと向かってくる。

彼女は、私の目の前でその韻律をピタッと止めると、綺麗な黒髪を揺らしながら、死体の方にまんまるの瞳を向けた。髪の毛と同じ漆黒の瞳。闇の中に浮かぶ死体。


男が死んでいることに気付いたのは、先程その男が手元から血をダラダラと流していたときから、大よそ10分後。案の定、喉からダラダラと血を流して男は死んでいた。私が先ほど見た幻視と一緒。いや、今となれば未来視で在る。随分すごいことである。

私は、さっそく助手の妙領寺に「さっき、これと同じ風景見たんだよ。幻視だけど。いや、というか、未来視さ。すごいべ?」などと言おうとしたのだが、きっとあたまのおかしい奴だと思われるか、嘘をついていると思われるに決まっているので、そのことは黙って「いやぁ、大変なことになったねぇ・・・」などと、もっともらしい事を言ってお茶を濁した。まあ、私と妙領寺は、それほどの信頼関係でしか無いのだ。むしろ、信じられたら信じられたで、そんな妄信的な助手をこれからも雇用し続ける自信は無く、斯くして私は真実を語らなかった。


まあ、兎に角、私と妙領寺が「噛み付いたって・・・狂犬じゃないんだから。やっぱ気味悪いよな。」などと他愛無い小悪口を言いながら(主に私が一方的に)、その部屋を後にした約10分後に男は死んだのである。儚き命。


「僕が、一瞬目を放した隙に死んでいたんですよ。ほんと、10秒か20秒。密室です。」

ワッーという悲鳴を聞きつけ「また誰か噛まれたんじゃないの?」などとほくそ笑みながら、興味本位で部屋に戻った私と妙領寺に、給仕の男が、ト書きを読むようにそう説明した。私は、一応探偵として、現状の維持とかそれらしいことを言いながら部屋の隅々を調べるフリなどをしてみたが、正直な所よくわからなかった。そして、別に密室でもないと思った。


それから更に20分後、桂木警部の娘さんで在る茜さんが、無表情な長身の刑事1名を引き連れ、私の前に姿を現した。トントン・トト・トン・トトントン。


「やあ、どうも茜さん。急務の方は、もう片付いたんですか?」

私は茜さんに歩み寄りながらそう尋ねると、茜さんは「いや、眠くて。」とだけ言ってそれっきり。そのまま私を無視して、給仕の男の方へと早足で向かって行った。これは一体どういうことか。彼女が、私との片輪パーティ出席を土壇場で拒否した理由を、私は、"急務により仕方なく"と聞かされており、飛び級飛び級の末、若干18歳にて刑事警察機構の、強盗や殺人、所謂、凶悪犯罪を管轄とする部署に所属し、非番の返上なども日常茶飯事なので在ろうという茜さんの勤務実態を十分考慮して、「急務ならば仕方ありませんね。」と、快くそれを許諾した私の表向きのやさしさは何だったのか。なんだよ眠いだけで断ったのかよ。私より睡眠。睡眠と私。羊が壱匹。などというコトバが頭の中をぐるぐると回った。

しかし、事を更に深く考え暗い気持ちに陥る間も無く、茜さんは突如、懐から回転式拳銃を抜き放つと、給仕の男の額に向けて銃口を突きつけた。そして一言「犯人こいつ。」


「なんで?」

「勘」

突然の行動に、間抜けな声で尋ねた私がそう言い終えるより早く、茜さんは、更に一言そう言い放った。そして、さぞかし狼狽しているであろうかと思った給仕の男も、途端可笑しな目つきになると、床に腰を下ろしながら饒舌に口を開き出した。

「要は、子供の時誰もが想った在れですよ。自分は何処かの金持ちの隠し子で、何らかの理由により、今の両親に預けられた。今はこうして日々の雑事に追い回され辟易としてはいるが、いずれは使者が使徒が、現れ、連れられ。私は真の両親の元へと逝くのだ、真っ赤なおべべで逝くのだ。そうすれば何事にも不自由の無き生活が待っているのだ。舞っているのだ。この世界は、自分を中心に紅き羽根と共に形成されていて、其れは不死鳥で、自分の、私の視界内の世界しか常には存在していないのだ。自分の視界に入らぬ世界は、この世界を節制する為、そのつど虚無へと形成を崩す。言うなれば、私が存在しているから、あなたもあなたもあなたもお前も存在する訳なのです。」

何故、私のことだけを"お前"呼ばわりなのかが気になったが、男は茜さんの瞳を見据えながら、嬉々として、そのようなよく解らぬことをのたまっていた。

「そんな事は聴いてない。どうして殺した。」


茜さんは、銃口の位置を変えずに、無表情で給仕の男を見下ろしながらそう尋ねる。


「ですから私は、このように形成された構築された、この世界、私世界。私世界の謎を解く為にですね、法則を見つけだそうとした訳ですよ。そう、先ずは、私の真の両親が私を迎えに来る条件ですが、私は21年間その時を待っているのですが、まだ来ない。まだ使徒が使者が迎えに来ない訳です。世間一般で云う、成人を迎えることが、向かえられることが、その条件なのかとも想っていたのですが、そうじゃない。何故なら来ないから。迎えにね。バスでね。だから、他に条件が在る様だ。それで色々試して、思考を錯誤、倒錯、実施してはみたのですが、それでも迎えはやってこない。使者がこねい。が、1つ試して無い方法に気づいた。殺人だ。」

男は、そう言い終えると、眼を1度カッと見開いてから、なにやら甘いものを、チョコ・パイなどを思い浮かべたような光悦な表情に変わっていた。それに気付いた私が「殺人の現場でチョコ・パイなどを思い浮かべて不謹慎だ!」と言おうか言うまいか考えているうち、突如、茜さんは男の口に拳銃をねじ込みながら「要は、自分の冴えない人生を悲観して、非現実的な妄想を繰り返し、在りがちな感じに死のうとか発狂しようとかするんだけど、所詮理想ばかりが高いだけの凡庸な人間でしかないアンタには其れすら出来ない訳だから、普通に努力することも惜しんで、手っ取り早くヒトを殺して狂人気取りか。その程度で、自分が特別な人間にでも成ると思ったか?凡庸者以下だよ、お前は。」と冷静に言い放った。そして、利き手に持った回転式拳銃の撃鉄を親指で起す。不味い。口調こそ冷静だったが、彼女の目つきは据わっていた。

「茜さんっ!」

私は、茜さんを止めようと駆け出すが、時既に遅し。ターン。


給仕の男は、足の甲から流れ出る血を両手で抑えながら、床を転がり、痛い熱い痛い熱い痛い熱いの繰り返し。しかし、茜さんは、転がる男の髪の毛を片手でクワッと掴むと、もう1度銃口を男の口元にねじ込みながら「人間なんて、それなりに努力してそれなりに搾取されながら、日々の細々とした幸せ噛みしめてりゃ十分なのよ。自分が出来ないからって、ヒトを巻き込むんじゃない。」だって。


茜さんは、そのまま男の口から銃口を引き抜くと、「うわっ、よだれが・・・」と小さくつぶやいて、髪の毛を掴んだまま、長身の刑事に男を引き渡した。その刑事も刑事で、手錠もしないで髪の毛を掴んだまま男を部屋の外へと連行しようとしている。そんなやりとりを横目に、「いや、でも、拳銃突きつけて自供させるのって不味くないですか?」と、何故かここぞとばかりに丁重な口調になった私がそう尋ねると、茜さんは「じゃあ、後で黍クンがトリックでも何でも考えといてよ。名探偵でしょ?」と、口を尖らせながら。


そして後日、茜さんに書面で送った私の推論文により、いつのまにかこの事件は私の手柄で解決したことになっていた。これが、所謂、私の関わった事件の中でも特に有名な「片輪屋敷飛頭蛮密室刺殺事件」で在る。


第9幕へと続く